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大阪地方裁判所 昭和58年(わ)6380号 判決 1984年11月30日

本籍

大阪府堺市榎元町四丁目二七〇番地の一

住居

同市菩提町四丁一二八番地

すし店等経営

岩本省吾

昭和一〇年二月八日生

右の者に対する所得税法違反被告事件につき、当裁判所は、検察官鞍元健伸出席のうえ審理を遂げ、次のとおり判決する。

主文

一  被告人を懲役一年及び罰金一四〇〇万円に処する。

一  右罰金を完納することができないときは金五万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

一  この裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。

一  訴訟費用は、被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、大阪府堺市内において「新子寿司」の商号で寿司店を、同市内、愛知県半田市内等において「ノア美容」「大阪理美容センター」「美容ゴールドフインガー」等の名称で自己又は浜屋勉と共同で理美容店を営むものであるが、自己の所得税を免れようと企て、売上げの一部を除外し、開設名義人に従業員の名義を借用して他人の事業に仮装するなどの方法により自己の所得を秘匿したうえ、

第一  昭和五五年分の総所得金額が二三〇六万七一二一円(別紙(一)修正貸借対照表等参照)あったのにかかわらず、同五六年三月一二日、大阪府堺市南瓦町二番二〇号所在の所轄堺税務署において、同税務署長に対し、同五五年分の所得金額が二五〇万二八七五円で、これに対する所得税額が一四万六〇〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって不正の行為により同年分の正規の所得税額八二八万七四〇〇円と右申告税額との差額八一四万一四〇〇円を免れ、

第二  同五六年分の総所得金額が三七七五万八三四五円(別紙(二)修正貸借対照表等参照)あったのにかかわらず、同五七年三月一三日、前記税務署において、同税務署長に対し、同五六年分の所得金額が三五五万七八八八円でこれに対する所得税額が二九万九四〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって不正の行為により同年分の正規の所得税額一六六七万七一〇〇円と右申告税額との差額一六三七万七七〇〇円を免れ、

第三  同五七年分の総所得金額が五〇〇五万七四二四円(別終(三)修正貸借対照表等参照)あったのにかかわらず、同五八年三月一〇日、前記税務署において、同税務署長に対し、同五七年分の所得金額が四二二万三八二五円でこれに対する所得税額が四一万七八〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書を提出し、もって不正の行為により同年分の正規の所得税額二四三〇万五一〇〇円と右申告税額との差額二三八八万七三〇〇円を免れ

たものである。

(証拠の標目)

一  被告人の当公判廷における供述

一  被告人の検察官に対する供述調書

一  収税官吏の被告人に対する各質問てん末書一〇通

一  証人岩本善夫、同岩本静代、同岩本令子の当公判廷における各供述

一  柴田吉朗、岩本令子、浜屋勉の検察官に対する各供述調書

一  収税官吏の安藤孝子、船本守、峰千恵子、首顧清子、大谷悦子、松木亮三(二通)、菊地昭子、宇都宮三恵子、平田悦三(三通)、森裏一義、小川祥二、増田智子、田中良一、小高基司、真守希代子、関節子、松岡宏、高以来信也、岩本令子(一八通)、浜屋勉(八通)に対する各質問てん末書

一  収税官吏作成の査察官調査書二八通

一  収税官吏作成の昭和五九年三月一九日付け証明書

一  大阪法務局堺支局登記官作成の商業登記簿謄本

一  被告人作成の所得税確定申告書謄本三通

一  収税官吏作成の脱税額計算書三通

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人、被告人の争う各争点についての当裁判所の判断は以下のとおりである。

一  事業所得の帰属について

弁護人は、被告人の経営する各事業は、被告人の実兄岩本義夫との共同経営であり、右事業の経営から生じる所得のうちその二分の一が被告人に帰属するに過ぎないと主張する。

そこで検討するに、前掲各証拠によると以下の事実が認められる。すなわち、被告人は、高校卒業後呉服店、総菜店等に勤務した後昭和三〇年一一月頃独立して被告人の母所有の大阪府堺市三国ケ丘御幸通一九番地において、豊年食品の屋号で母と友人と共におかず屋を始めた。豊年食品の経営が順調だったため、人手も足りなくなり、被告人の郷里も過疎地区となり将来の発展性に欠けるので万屋を辞めた兄の岩本義夫夫婦が被告人を頼って手許金三五〇万円ないし四〇〇万円を持って昭和三六年頃上阪し、被告人の仕事を手伝うようになった。被告人の妻令子は、昭和三六年頃、兄義夫からの借金三五〇万円も含めて約五五〇万円の資金で大阪市阿倍野区内で美容店を開業したが、昭和三八年頃には廃業し、その売却代金約六五〇万円で堺市榎元町の土地約一四〇坪を購入し、兄の義夫名義で所有権移転登記をなした。昭和四〇年頃には、右土地上に義夫名義の店舗付住宅、被告人名義の文化住宅を各々建築し、右家屋から賃貸借収入を得るようになった。昭和四二年五月頃には、被告人は豊年食品を廃業し、同所において転業資金二〇万ないし三〇万円で新子寿司の名称で持帰り専門の寿司店をはじめた。間もなく母の死亡により前記御幸通一九番地の土地建物を被告人が相続した。寿司店の経営は、被告人の予測が的中し、順調で、順次店舗を新設していった。他方店が近かったため知合った浜屋勉と共同で昭和五一年頃から大衆理美容店を開業することとなり、順次これも手を拡げていき、昭和五七年末現在では寿司店四店、理美容店一四店を数えるに至っている。

その間昭和五三年六月には小高基司と共同出資して新子寿司松原店を開業したものの営業成績が悪く、昭和五六年四月には松岡宏に同店の権利を三五〇万円で売却した。売却の交渉は一切被告人が行い、買主の松岡も同店は被告人個人と小高との共同経営と思っていた。小高は出資清算金として三〇〇万円余受った。又浜屋勉との共同店については、同人との折衛は一切被告人が行っており、浜屋自身も被告人個人との共同経営だったので、共同経営に参加したものであり、兄義夫との共同経営ならば話に乗らなかったと述べている。被告人は、昭和五八年五月三一日限りで浜屋との共同経営を解消し、同年七月一三日付で同人との間に覚書を作成しているが、共同経営解消の交渉一切は被告人が行い、右覚書も被告人の個人名義で作成している。

兄義夫夫婦の上阪以来、寝泊まりは別として被告人らとは共同の生活を営んでおり、殊に昭和五〇年頃同居してからは完全に生計を一にしている。新規開店の際には、被告人夫婦と義夫夫婦との間で話合いが持たれているが、義夫は無口で余り口を出さず、姉は出店に消極的で被告人がこれを押切って出店を決めるのが通例だった。

又新規に店舗を開設する資金が不足の場合の金融機関からの借入金は、いずれも被告人個人の名義でこれを行っていた。

次に、被告人らの仕事内容をみるに、兄義夫は、新子寿司エイワ市場店において他の職人と同様の仕事に従事しており、給料も職人と同じ扱いを受けていたが、現実には義夫に給与は支給されず、月五万円の小遣いを被告人から受取っていたに過ぎない。姉も寿司店に手伝いに行ったりしていたが、三年位前からは自宅で家事に専念しており、月五万円の小遣いを受取っていた。妻令子は、事業資金の管理面を担当しており、入出金を記帳する外、各店舗からの集金業務に携わっていた。被告人は対外的折衝を主として行い、平日には理美容店の応援に出かけていた。

義夫は、事業経営の具体的内容は必ずしも掌握していず、自己名義の所得税確定申告手続も被告人らにまかせきりであった。

本件発覚後被告人らは昭和五九年二月個人事業を会社組織とし、ノア株式会社を設立したが、取締役は、被告人、令子、被告人の長男の三名であり、義夫は監査役にすぎず、発行済株数六〇株中三〇株を被告人が、二〇株を令子が保有している。以上の各事実を認めることができる。

右認定事実によると、令子が昭和三六年頃にはじめた美容店の開業資金六〇〇万円中三五〇万円は義夫からの借入金でまかなわれているが、右借入金はその後榎元町の土地の形で義夫のものとされており、一応返済されたものと認められる。被告人のはじめた新子寿司は、土地建物いずれも被告人の個人所有であり、転業資金も二〇万ないし三〇万円と少額であったことから考えると、開業に当り義夫からの出資金があったものとは認め難い。又新規事業の計画、対外的折衝、事業全般についての管理は専ら被告人が行っており、経理面は令子が担当しており、義夫らは一店舗に単純労働者として従事していたに過ぎない。更に利益の分配については何らの定めもなされていない。これら出資金、事業の運営、利益の分配等を総合的に判断すると、本件事業はいずれも被告人の単独事業であって、義夫との共同事業ではないと解するのが相当である。

確かに弁護人指摘のように前掲各証拠によれば、各店舗の契約名義人は、被告人夫婦、義夫夫婦の形でなされているが、元々被告人自身自己の経営であることを秘匿し、脱税をしようと考えて、他人名義での所得税確定申告をしていることが認められるので、右事実をもって共同経営の証左と解するのは相当でない。又義夫所有の店舗付住宅の家賃収入等も被告人の資産と混合運用されているが、企業会計と家計の分離の意識の希薄な家族的中小企業においては多分に認められるところであり、これをもって共同経営の顕れと解するのも相当でない。

以上の次第で弁護人の右主張は採用しない。

二  不動産収入について

弁護人は、義夫所有の前記榎元町所在の店舗付住宅からの不動産収入は、いずれも被告人経営の事業に投入されており、被告人の借入金として処理すべきと主張する。

本件は財産増減法による立証であるから、昭和五四年以前の不動産収入については、本件各期の所得の計算上は全く関係がない。本件各期の義夫の不動産収入については、被告人の事業収入と混合されているので、これらを一括して各期首、期末の財産を確定したうえ、各期の義夫の不動産収入を事業主借として計上しており、これを更に被告人の借入金として二重に計上すべき必要は全く存しない。

従って、弁護人の右主張は採用しない。

三  義夫の給料について

弁護人は、義夫の給料三期分七〇四万六五七〇円及びそれ以前の給料一一〇〇万円を各々被告人の借入金として計上すべきと主張する。

前記一で認定したとおり、義夫は他の職人との関係では職人一人分としての給料を支給されている形とはなっているが、現実には最近では月五万円の小遣いを受取っているに過ぎず、給料が実際に支給されていないことは明らかであり、弁護人の右主張は採用の限りでない。(もともと弁護人の主張を前提としても、義夫は被告人と生計を一にする事業専従者であるから、所得税法五六条により、仮に給料が支給されていたとしても、これは必要経費とはならず、事業主貸として計上されるため、これを被告人が借入れた場合も事業主貸と借入金の両建てとなり、所得計算上は何らの増減をきたさないことを付言しておく。)

四  貸倒について

弁護人は、従業員に対する貸付金は、いずれも貸倒として処理すべきであると主張する。

収税官吏吉田進作成の昭和五八年九月一二日付け査察官調査書、収税官吏の岩本令子に対する各質問てん末書、証人岩本令子の当公判廷における供述によると、各期末において貸倒となるべきものはいずれも貸倒として処理されており、期末貸付金残として計上されているものは、いずれもその当時においては回収可能なものであることが認められる。その後回収不能となった貸付金については、本件各期において貸倒として計上すべきものではなく、回収不能となった年において貸倒として計上すべきものである。

従って、弁護人の右主張は採用しない。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は、行為時においては、昭和五六年法律第五四号脱税に係る罰則の整備等を図るための国税関係法律の一部を改正する法律による改正前の所得税法二三八条一項に、裁判時においては、改正後の所得税法二三八条一項に該当するが、右は犯罪後の法令により刑の変更があったときにあたるから、刑法六条、一〇条により軽い行為時法の刑によることとし、判示第二、第三の各所為は、いずれも改正後の所得税法二三八条一項に該当し、いずれも所定の懲役と罰金を併科し、以上は、刑法四五条前段の併合罪であるから、懲役刑については同法四七条本文、一〇条により最も犯情の重い判示第三の罪の刑に法定の加重をし、罰金刑については同法四八条二項により罰金額を合算し、右加重をした刑期及び合算した金額の範囲内で、被告人を懲役一年及び罰金一四〇〇万円に処し、同法一八条により右罰金を完納することができないときは、金五万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、情状により同法二五条一項によりこの裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予し、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文により被告人の負担とすることとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 金山薫)

別紙(一)

修正貸借対照表(事業所得)

昭和55年12月31日現在

<省略>

総所得金額計算書

自昭和55年1月1日

至昭和55年12月31日

<省略>

別紙(二)

修正貸借対照表(事業所得)

昭和56年12月31日現在

<省略>

別紙(三)

修正貸借対照表(事業所得)

昭和57年12月31日現在

<省略>

総所得金額計算書

自昭和57年1月1日

至昭和57年12月31日

<省略>

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